南無阿弥陀仏とは?

南無阿弥陀仏の意味は?

山根法城愚拙九安も、まだ、若かりし(17歳)ころ、師「法城」に尋ねたことがあります。その答えは、意外にも「なむあみだぶつと、ひらがなで書いたら、どうなる?」でした。私は、期待はずれの、おかしな答えに、ただ困惑しているだけでした。ひらがなで「なむあみだぶつ」なら、意味は不明となります。しかし、その名号を唱えることを勧められるのですから、ますますもって混沌とし、次の質問もできないほど落ち込むことになります。しかし、師を信じて疑わない私は、その後もしばしば「南無阿弥陀仏」と唱えていましたが、何一つ自分には得るものが無いのです。空しい年月が過ぎますが、確信が得られないので徐々に探究心は薄れていきました。

転機が訪れたのは25歳、今度は恋愛感情のもつれで悩むことになります。再び師を訪ねて行きましたが、その時、逆鱗に触れたような説教にあいます。実に恐い経験でした。要するに引導を渡されたのです。さらに、それから数カ月で師は、この世を去られたのです。その後、兄弟子を頼りに仏法を求めることになりましたが、これが最後のチャンスのつもりで、昼間は働き、夜は寝起きを共にしてもらいながら説法を受けました。兄弟子の言葉は、私の常識に近い言葉で表現されましたので新鮮でした。毎晩毎夜、約一時間の間、「南無阿弥陀仏」と称名を唱えるのですが、自分にとって依然として得るものは無いのです。真剣になっていた私は一息入れ、続いて、もう一時間称名を唱える日もありました。音量・音節を変えたり、強い依頼心を込めたり、感謝の気持ちを込めたり、リラックスしたり、さまざまな手法を試してみました。しかし、依然として納得できる成果はありません。声は枯れ、悲惨な日々が3か月ばかり続きます。なかば諦めかけた、そのとき、ふと試した「呼吸法」によって仏法が体得されたのです。得たモノは知識ではなく、楽、力、安心、すなわち仏の法(力)だったのです。

もちろん、息を確認するという呼吸法は、もちろん師からも兄弟子からも、何度も教示されていたのですが、そのとき、はじめて呼吸法に成功した、ということなります。それから間もなく「呼吸法」と「なむあみだぶつ」と唱えることが、まったく同じ行であることがわかったのです。つまり、「呼吸」も「声」も、自らが持つ生命の営み。すなわち、自我を無我に集中することが、「阿弥陀仏」にすがることだったのです。それは、あたかも彼の国から無限に降り注ぐ光明に周波数を合わせて受信に成功した瞬間のようでした。

念仏の唱え方

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