「阿弥陀様、この身をお助けください」と心に決めます。心を落ち着かせ「南無阿弥陀仏」と声に出し、その出る音に「一心不乱に意識を集中」します。
身口意を使った仏教の行法のひとつ。「南無阿弥陀仏」と唱えることで、悩みや患いなどの苦悩から解放され、さらに、この世で仏身に育まれるための行動。
この身が助けられ、救われることによって体が楽になり、この身に備わる心も救われます。この順序が大切です。
阿弥陀様とは、極楽浄土におられる仏様の一人です。この阿弥陀仏が本当に存在するのかしないのか、また、極楽浄土が有るのか無いのか、現在のところ証明されていません。結論から言えば、あなた自身の中で存在を確認し、認識した段階で仏法を体得したことになります。ですから、それまでは確証が得られないまま修行に取り組むことになりますが、不安や疑念を払拭するためには「信心」、また、固い意志を必要とするため「金剛心」と言う言葉が残されています。
南無は、サンスクリット語のナマス(namas:頼む)。阿弥陀仏は、アミターバ(Amitābha:無量寿)の音写です。つまり、ナモアミターバを中国語の漢字で「南無阿弥陀仏」と翻訳したものです。もし、日本語で音を表記すれば「なむあみだぶつ」あるいは「ナンマンダー」などでも良いでしょう。「無量の光明を頼み、すがり、体得する」という行動を意味します。
「どうしたら極楽浄土に行くことができますか?」、「どうしたら助かりますか?」と尋ねられたとき、「南無阿弥陀仏と唱えよ」と示されたのです。難解な経典や仏説などは知らなくても、ただ疑いなく「なむあみだぶつ」と口にするだけで、この世で成仏できる、と方法を説かれたのです。
「なむあみだぶつ」、「なもあみだー」、「なんまんだー」、「なーあーむーうーあーあー……」など、特に決まりはないようです。無理のない自然な声で、しかも、集中できる「念仏」を実行してください。学説によれば、法然も善導も、一日に数万回は唱えたとあります。
ひとりで念仏できる時間と場所を探すか、その環境を作るしかありません。たとえば、自分の部屋、車の中、ひとりの時など。まずは、回数は気にせず実行するしかありません。山でも川でも海でも構いません。要は、周囲が気にならない環境が良いでしょう。
念仏していると頭の中が「あれこれ」と思いや考えが動き回ります。念仏しているのに、気になること、今日の出来事、テレビのこと、仕事のこと、家族のこと、まるで滝のように流れて来るかも知れません。私自身もそうです。なかなか念仏に集中できないのです。考えてはイケないと思えば思うほど集中できません。これを「空念仏」と言いますが、得るものが無い状態から脱するのは至難の業です。一日数万回も唱える持続力と精神力があれば、きっと「無我の境地」に辿り着けるのでしょうが、容易なことでは有りません
心を落ち着かせ、ただ出る声、その音にのみ意識を集中します。
「疑いなく」というのは疑ってはいません、というだけですが、有難いと思いながらでもなく、感謝の気持ちを持ちながらでもなく、依頼心を持ってでもなく、ただただ自分自身の声(音)に一心に集中するだけです。
あなたの身から出る声は、あなたの意識が確立する前から、すなわち「おぎゃ~」と産声を上げた時から持っている命の声です。良い声でも悪い声でも、そんなことには無関係に持っている声、これが生命の一部です。(声が出ない人は呼吸法を実行してください)
阿弥陀様も、お釈迦様も、天親菩薩も、曇鸞も、善導も、法然も、親鸞も、蓮如も、私の師主の法城も、兄弟子である師も、そして、この私も、同じ命(無我)で生きているからです。つまり、自我は、それそれ異なるけれども、人間と言う生命の根本(命)が同一だからです。同一だからこそ、帰命という行動が成功すれば命と命とが通じることができるのです。この状態を「臨命」や「神通(神に通じる)」と示されていますが、命が臨めば、すなわち阿弥陀仏(アミターバ:無量の力、あるいは、無上の楽)が身体に現になります。
浄土宗の開祖「法然上人」は、「疑いなくただ念仏すれば誰でも助かる」と残されています。この行法は、有難いことに非常に単純明快に示されていますが、私にとって確証を得るまでには苦節八年、疑いなく、ただただ念仏できる安定した状態にはなれませんでした。
それでも、入信した初期の段階には、苦悩に満ちた状況から脱したい一心に迷いがなく、かなり高い集中力を発揮したせいか、安楽、快楽、開放感を味わうことができました。それは、私だけではなく、多くの同胞同行で散見されています。
しかし、苦悩が一段落してからが本当のスタートです。苦悩があるうちは、目的が明確で必要性がありますが、健康体においては仏教本来の目的(この世で成仏)に定まらなければ継続する熱意がなくなりやすいものです。私の場合も、過去の生き方に流され、求道心が失せてしまいました。