月影のいたらぬ里はなけれども眺むる人の心にぞすむ

これは、浄土宗(じょうどしゅう)宗祖(しゅうそ)法然(ほうねん)上人(しょうにん)()まれた和歌(わか)です。不学(ふがく)(かえり)みず(つつし)んで(おし)えを(あじ)わってみました。

法然(ほうねん)上人(しょうにん)は、ただ「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を(とな)えるだけで(だれ)でも(すく)われると()かれました。 現代人(げんだいじん)仏教(ぶっきょう)(たい)してどの程度(ていど)信頼感(しんらいかん)()ち、探求心(たんきゅうしん)があるか、残念(ざんねん)ながら(はなは)疑問(ぎもん)ですが、当時(とうじ)人々(ひとびと)(おお)くが仏法(ぶっぽう)(たい)して「(すく)い」を(もと)めていたことは(たし)かです。(だれ)でもということは、百姓(ひゃくしょう)町人(ちょうにん)文字(もんじ)()めない(ひと)など、すべての人々(ひとびと)のことですが、文字(もじ)をも()らないということは仏教(ぶっきょう)教義(きょうぎ)についても()らないことを意味(いみ)します。 (すく)われるには、ただ阿弥陀仏(あみだぶつ)()(とな)えれば()いと()うことから「称名(しょうみょう)念仏(ねんぶつ)」と()われています。それまでの仏教(ぶっきょう)が、貴族(きぞく)武士(ぶし)、そして、修行僧(しゅぎょうそう)など、一部(いちぶ)人々(ひとびと)信仰(しんこう)対象(たいしょう)とされていたことを(おも)えば、単純(たんじゅん)明快(めいかい)革新的(かくしんてき)(おし)えであり、またたくまに世間(せけん)(ひろ)まりました。ところが(とき)鎌倉(かまくら)時代(じだい)現代(げんだい)のような表現(ひょうげん)自由(じゆう)信仰(しんこう)自由(じゆう)()かった封建(ほうけん)社会(しゃかい)においては、文章(ぶんしょう)表現(ひょうげん)説法(せっぽう)行動(こうどう)などが(とき)政権(せいけん)在来(ざいらい)仏教(ぶっきょう)への批判(ひはん)脅威(きょうい)とならないよう配慮(はいりょ)されたに(ちが)いありません。事実(じじつ)既存(きぞん)教団(きょうだん)からの奏上(そうじょう)もあり「承元(じょうげん)法難(ほうなん)」と()われる事件(じけん)()こります。承元(じょうげん)元年(がんねん)(1207年)後鳥羽(ごとば)上皇(じょうこう)により念仏(ねんぶつ)停止(ていし)決定(けってい)され、法然(ほうねん)土佐(とさ)親鸞(しんらん)越後(えちご)流罪(るざい)となっています。その(てん)で、直接的(ちょくせつてき)表現(ひょうげん)()け、比喩(ひゆ)()言葉(ことば)(もち)いられたと(かんが)えられます。

(つき)(ひかり)(とど)かない(さと)はないけれど、(なが)める(ひと)(こころ)()む」と、(うつく)しい和歌(わか)として鑑賞(かんしょう)しても()いのでしょう。でも、その解釈(かいしゃく)満足(まんぞく)されるなら、このサイトを(おとず)れることもないはずです。月影(つきかげ)光明(こうみょう)解釈(かいしゃく)されていますが、光明(こうみょう)仏像(ぶつぞう)背後(はいご)から()ている後光(ごこう)(おな)じで、極楽(ごくらく)浄土(じょうど)阿弥陀仏(あみだぶつ)から(とど)仏光(ぶっこう)のことです。識者(しきしゃ)によれば、「すむ」は「()む」、「()む」、「()む」の()言葉(ことば)であると解説(かいせつ)されています。そして、仏光(ぶっこう)が「すむ」か「すまない」かは、「(つき)()るか()ないかによる」と(むす)ばれています。

極楽(ごくらく)浄土(じょうど)からの仏光(ぶっこう)は、どこにでも(とど)(わけ)ですから、(だれ)()にも照射(しょうしゃ)されているわけです。それなのに、(つき)()なければ(こころ)にはすまない、と明言(めいげん)されています。(じつ)は、仏光(ぶっこう)感知(かんち)し、月光(げっこう)にたとえることができれば、すでに体得(たいとく)境地(きょうち)にあるのですが、それはともかく、仏光(ぶっこう)(つき)(ひかり)のように(とど)いていると()かれています。しかし、仏光(ぶっこう)(だれ)()にも()(そそ)いでいるのだから「もうそれで()い」とはならなず、「(なが)める」行動(こうどう)によってのみ「(こころ)にすむ」という課題(かだい)(しめ)されているのです。さらに、「(こころ)にぞすむ」とありますので、(たん)(うつく)しい(つき)()(こころ)()むだけではなく、月光(げっこう)(こころ)()む・()むなら、いよいよもって意味(いみ)(ふか)いことが示唆(しさ)されているように(おも)われます。もし、仏光(ぶっこう)(こころ)()むなら後光(ごこう)()身体(からだ)となり、仏法(ぶっぽう)成就(じょうじゅ)()みということになります。

法然(ほうねん)上人(しょうにん)は、他界(たかい)される直前(ちょくぜん)一枚(いちまい)起請文(きしょうもん)」の(なか)で、「(うたが)いなく往生(おうじょう)すると(おも)って南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)(もう)すほかは、(なん)仔細(しさい)もない」と、簡潔(かんけつ)()手印(しゅいん)まで()されています。ですから愚拙(ぐせつ)のような猜疑心(さいぎしん)()って論述(ろんじゅつ)する必要(ひつよう)はないのです。しかし、実際(じっさい)念仏行(ねんぶつぎょう)(おこな)ってみればわかると(おも)うのですが、ただひたすら念仏(ねんぶつ)(とな)え、(なん)確信(かくしん)()てず、(なん)教義(きょうぎ)理解(りかい)することができず、さらに、(なに)()るものがないとしたら、(むな)しいばかりか、継続(けいぞく)する気力(きりょく)さえなくなります。それでも「智者(ちしゃ)のふるまいをせずして、ただ一向(いっこう)念仏(ねんぶつ)すべし」とダメを()されています。(したが)って、もはや(たす)かる(みち)などありません。そうです。そういう自分(じぶん)自身(じしん)気付(きづ)かされるのです。だからこそ、それでも、ただただ一心(いっしん)念仏(ねんぶつ)(とな)えるしかない、と()かれているのです。

念仏の唱え方

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