この講座の目的

この講座(こうざ)は、仏教(ぶっきょう)に救(すく)いを求(もと)め、悩(なや)みや苦(くる)しみから速(すみ)やかに解放(かいほう)され、安(やす)らかな日々(ひび)が過(す)ごせるように開設(かいせつ)しました。

今(いま)、失意(しつい)と挫折(ざせつ)の真(ま)っただ中(なか)にある人(ひと)にとっては、迷(まよ)いを転(てん)じて悟(さと)りに生(い)きる大(おお)きなチャンスです。この機会(きかい)を逃()さず精進(しょうじん)してください。

人生(じんせい)の目的(もくてき)を探(さが)し求(もと)めながらも漠然(ばくぜん)と生(い)きている人(ひと)、厳(きび)しい修行(しゅぎょう)によっても未(いま)だ確証(かくしょう)の得(え)られない人(ひと)、また、不安(ふあん)、恐怖(きょうふ)、寂(さび)しさ、迷(まよ)いに苛(さいなま)まれている人(ひと)、さらに、仏智(ぶっち)・仏心(ぶっしん)を会得(えとく)したい人(ひと)などにも、有効(ゆうこう)な解決策(かいけつさく)を明示(めいじ)しました。

誰(だれ)でも仏教(ぶっきょう)が体得(たいとく)できるように、難解(なんかい)な仏教(ぶっきょう)用語(ようご)を分(わ)かりやすい言葉(ことば)で表現(ひょうげん)し、自(みずか)ら迷(まよ)い苦(くる)しむ中(なか)で仏教(ぶっきょう)を信(しんく)じ、求(もと)め、苦難(くなん)を乗(の)り越(こ)え、自分(じぶん)自身(じしん)の体験(たいけん)を元(もと)に明快(めいかい)に解説(かいせつ)したつもりです。凡人(ぼんじん)ならではの視点(してん)が、必(かなら)ずや読者(どくしゃ)の共感(きょうかん)を得(え)られるでしょう。

仏教(ぶっきょう)は釈迦(しゃか)によって開(ひら)かれた宗教(しゅうきょう)ですが、ひと口(くち)に仏教(ぶっきょう)と言(い)っても、仏教(ぶっきょう)が仏(ほとけ)の教(おし)えとなれば、仏(ほとけ)や菩薩(ぼさつ)はひとりではありません。伝承(でんしょう)によれば、教義(きょうぎ)は「仏教(ぶっきょう)最大(さいだい)にして第一(だいいち)」と言(い)われるように八万(はちまん)四千(しせん)にもおよぶ教(おし)えがあるようです。その教義(きょうぎ)のすべてを学(まな)ぶ事(こと)はできません。また、史実(しじつ)や経典(きょうてん)を学(まな)ばなければ助(たす)からないということでもありません。仏教(ぶっきょう)を信(しん)じ、学(まな)ぶことは、それだけでも尊(とうと)いことですが、目的(もくてき)は「この世(よ)で仏性(ぶっしょう)に育(はぐく)まれること」、「悟(さと)りに生(い)きること」、「この世(よ)で成仏(じょうぶつ)すること」、「極楽(ごくらく)浄土(じょうど)へ生(う)まれ行(ゆ)くこと」にあります。従(したが)って、現代(げんだい)の滅法(めっぽう)時(じ)においても、まずは、苦難(くなん)を克服(こくふく)し、仏法(ぶっぽう)が体得(たいとく)できるよう有効(ゆうこう)な行法(ぎょうほう)を提示(ていじ)しました。

体得
頭の中で思ったり考えたりするのではなく、体(体感)で得ること。食べ物も、見たり聞いたりしただけでは味は感じませんし、空腹感もなくなりません。実際に食べて初めて味がわかり、満腹感も味わえます。つまり、文章や文字を見たり読んだりして考えている段階では、体得はできません。
凡人
特にすぐれた点もない人。普通の人。つまらない人。
仏性
仏の命、体、智恵、心を持つ人
滅法
仏教が廃れ、世の中の人々が仏とも法とも思わなくなる時代。師を師とも思わず、思えない時代。邪教が流行り、天変地異は頻発し、……。
極楽浄土
この世界から十万億土の距離にあると説かれた「阿弥陀仏が住む苦悩の無い清らかで安楽な世界」。

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