まず最初に、仏教とは何か、悟りとは何か、について答えるべきでしょう。でも、その本題を直視し興味を持ち続けられる人は奇特な少数派です。九安の過去がそうであったように、きっと多くの人は日常生活の中で大なり小なりたった一人でもがき苦しんでいるハズです。いや、そうだからこそ仏教が解かれているのですが、そんなときは失望感が募り解決策を探す気力さえなくなります。とても仏教どころではないでしょう。
仏教が目的とするのは、病気を治したり、現世利益を得たり、個別の悩みに向き合い解決することではありません。それらは、仏教を求め、仏教を正しく実践する中で、有り難い仏果としてしばしば具現化されますが、それが主目的ではないのです。あなた命が仏性に育まれる過程の中で、あなたの心と肉体が健全化し、知力と体力、つまり、生命力が増強された証としてもたらされるのです。