悟りとは?

(さと)りとは、「迷いを去って真理を知ること」。学校の試験なら、これで正解なのでしょうが、たとえ正解しても悟りを得たことにはなりません。では、悟りを得た人は、どのような人なのでしょうか?

  1. 「真実とは、自分の肉体のこと」に気付いた人。
  2. 人間は、来世に往生(おうじょう)する(生まれ行く)ために、この世に生まれて来た。
  3. 死後の恐怖心から解き放たれている。
  4. もし、信じる者があれば楽土に導く知恵と力がある。
  5. 物欲、金銭欲、名誉欲など、執着心がない。ゆえに出世(人の世を出る)と示されています。
  6. 真実とは何か?が終点ではなく、真実をどう生きるか?に主目的がある。
  7. 外観は、凡人と変わらない(あえて変える事もある)。
  8. 内心は、凡人とは真反対のように主客転倒。主(無我:肉体)客(自我:心)の優先順位が逆である。
  9. 来世と現世と命が臨界できる。往還回向(おうかんえこう)
  10. 人々の暮らしの中で遊ぶかのような生き方ができる。遊煩悩林(ゆうぼんのうりん)
  11. 肉体から発せられる後光(ごこう)は、生きとし生けるものを照らしている。その光を受けた者は、楽と歓喜を感じることができます。が、しかし、体感値を表現できる人も、また、非常に稀です。その光は、日光や月光のように意識をすれば認識できますが、酷暑酷寒でもない限り日常生活では体感意識が継続していることはありません。昼夜を問わず、物陰にあっても受光できることから「超日月光如来(ちょうにちがっこうにょらい)(日光や月光よりも強力)」とも示されています。

九安の得た悟りとは、この世に人間として生まれてきた真の目的に目覚め、自らの命が来世へ誕生することを担保する智恵といえます。しかし、実際には、智恵が先行したのではなく、まず信じることで「行」を行い、命がこの世であの世と臨界(接続)し、そのあと智恵が「悟り」を確信することになったのです。

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