死の恐怖から逃れることができますか?

「師よ。お応えください。私は、死の恐怖から逃れることができますか?」

「あなたの、その言葉が仏法を求める上で、もっとも正当な姿勢です。人は、この世に生を受け、必ず死すのです。その不安と恐怖心とを糧(かて)に仏法を求めなさい。信と行とが一体となったとき、あなたの体が来世の誕生を確証してくれます。そのとき、死の恐怖はなくなります。」

「師には、死に対する恐怖はないのでしょうか?」

「私も、この世に生を受け、幸せに生きようと必死に頑張りました。幸せな生き方を見れば目標にし、みじめな生き方を見れば反面教師として、ますます努力をしました。しかし、満足な結果は残せませんでした。そればかりか、夢破れて死をも望んだ時期もあったのです。死を考えれば、寒々しく、さびしく、そこはかとなくやるせなく、苦しい日々でした。その状況は、まさしく地獄に行くしかない身の上でした。師に会い、教えを請い、お叱りを受け、行に励み、兄弟子にすがり、助けられました。その間、世捨て人同然の覚悟で修行に励んだのです。幸運にも、見性体験を得た時は、どうじてこんな簡単なことに何年も時を費やしたのかという思いもありました。来世の確証そのものが、すべての疑問、すべての不安を消し去ります。」

目次