「師よ、お教え下さい。あなたは、私の病を治すことができるのですか?」
「長い間苦しかったでしょう。私のような者を良く頼りにしてくれました。でも、私は医者ではありません。病を治すために法を説いているわけではないのです。もし、その病が治ったとしても、次の病になるかもしれません。結局、死から逃れることはできないのです。仏法の目的は、悩み苦しむ人たちの燈明となり、希望となって楽土へ導くことです。」
「奇跡は起こらないのでしょうか?」
「菩提心に生きるものなら命をかけて尽力するでしょう。しかし、あなたが求め、私の声の続く限りです。」
「私は、どうすれば良いのでしょうか?」
「私の声は力です。他力を求め、すがるしかありません。」
「楽土というものがあるのでしょうか?」
「あります。楽土があるからこそ、ここにそのパワーを実現できるのです。もし、楽土が無ければ仏教は必要ありません。私の声が楽土の証です。」
「師の声と他の声と、差が無いように感じますが……」
「私もそうでした。それは今までの五感では味わったことのないパワーだからです。しかし、命で受け取ることができれば、これほど強烈なパワーはありません。超日月光如来とも、無辺・無碍光如来とも示されています。つまり、太陽や月の光は、遮断されることはあっても仏光は、どんな障害物をも通過し、命対命で受け取ることができるのです。しかも、無量ということは有限でなく無尽蔵ということです。」